―野呂さんには女性のトップバッターを務めていただきます。女性ならではの視点も含め、お聞かせください。
まずは、ハンドボールとの出会いからですが、中学校からとお聞きしています。
当時、私が生まれ育った東京都の杉並区では、中学校のハンドボールがとても盛んでした。私が進んだ西宮中だけでなく、宮前中、神明中など、区内にハンドボール部のある学校がたくさんありました。
ハンドボール部に入部したのは、西宮中で一番強い部活で、体育を受け持っていただいた先生が監督だったからです。
西宮中は受験に熱心な地域にあってPTAの発言力が強く、部活は週2回以上やってはいけない、という学校でしたが、それでもチームは強かったです。
―卒業後、進学されたのが現在も有数の進学校として知られる都立西高校(昨春、東大に27人、京大に14人の合格者を輩出)。その進学校でどのような生活を送られたのでしょうか。
西高は西宮中と近く、西宮中のハンドボール部の先輩も進学していました。私の合格の報せを受けた先輩から誘われ、まだ春休み期間から西高の練習に参加していました。
全国大会でレフェリーも務めておられた坂理泰幸先生(のちに全国高体連ハンドボール部専門部の部長も務めた)のもと、週2日の練習だった中学校時代とは一変して、高校では休みなし。始業前、朝7時ごろからの朝練習、お昼休みを利用しての昼練習、日が暮れるまでの放課後の練習と、ジャージ姿のまま、練習の休み時間に勉強をしている感じでしたね。雨や雪でグランドが使えない日も休みではなく、筋トレなど毎日、身体を動かしていました。
西高には男子部もありましたが、坂理先生は明らかに女子部に力を入れておられ、女子部員と男子部員の間に禍根が残るほど。女子部員は日ごろの練習から力強く、体格もいい男子部員の胸を借り、強豪校の藤村女高、佼成女高、桜水商高などとも頻繁に練習試合を組んでもらいました。
当時の西高は男子のアメリカンフットボール部も強く、たくさん練習していましたが、私たちもそれに負けないくらい練習していたので、周囲からは『女アメ』と呼ばれたほどでした。
―ハンドボールに打ち込む中で、悩んだり、苦しんだりしたことはありますか。
バレーボール、バスケットボール、テニスといった競技と比べれば、やはりハンドボールはマイナーですし、7人揃って1チームという人数のハードルもあります。受験校の西高では、部員確保の難しさはなおさらでした。1年の時は華やかさから人が集まっても、2年から大学受験の勉強、という子も多かったですし、試合に勝とうと練習を厳しくすると、ついていけない、という子も出てきました。
ハンドボールは格闘技的な要素もあるスポーツですからケガも多く、私も中学時代には骨折して松葉杖姿で登校した時期もありました。『ハンドボールは大変なんだ』というイメージも持たれがちでした。
そうしたハンドボールに対するイメージを少しでも高め、部員を確保するために、後輩たちの勉強の面倒もよく見たものです。
―やはり進学校ということで、早い段階でハンドボールから離れ、受験勉強に打ち込まれたのでしょうか。
同じ代の多くの子は2年生でハンドボールを辞めましたが、私は3年生まで続けました。
高校2年の夏、坂理先生がレフェリーを務められた東京インターハイの補助役員としてコート整備などに勤しむ合間に、坂理先生の手伝いで全国から集まったチームと練習試合をさせていただくなど、常に刺激のある環境でしたし、坂理先生から『東京で2位までに入れば、デンマークに遠征できる』と聞かされたことも、3年生になってもハンドボールを続ける大きなモチベーションになりました。大真面目にデンマーク行きを目指して、練習に取り組みましたから。
―ハンドボールに打ち込んだことで、得たものは何ですか。
坂理先生には、トップレベルを肌で感じさせてもらい、大きな夢を見させてもらいましたね。チームプレーの楽しさや1人では試合に勝てないことを学びました。
中学、高校ともに『体育優良生徒』として東京都体育協会、東京都中体連・高体連からも表彰されています。西高の女子生徒で『体育優良生徒』として表彰されたのは、史上初と聞きました。
ハンドボールでの経験は、画廊経営に勤しむ現在も大きな支えになっています。
―高校卒業後もハンドボールとは縁があったのでしょうか。
進学した慶応大学には、当時、まだ女子のハンドボール部はありませんでしたし(女子部の創部は平成14年)、高校でケガもたくさんしていたので、大学はミーハーなテニスでいいか、と。
また、現役当時、日本一の座を争う湧永製薬と大同特殊鋼の試合なども観戦に行きましたが、今ひとつ華やかさに欠ける印象でした。
手に職をつけ、仕事をして生きていきたいという思いも強く、ハンドボールが手に職になるかと考えると、それは難しいと感じたことも、ハンドボールから遠ざかることにつながりました。
―そうした経験、経緯も踏まえ、現在のハンドボール界への提言や女子選手へのメッセージをいただけますか。
ハンドボールはヨーロッパではメジャーで、観客も多く、プレーしても観てもおもしろいスポーツとして広く認知されています。日本のハンドボールももう少し華やかさ、ビジネス的な視点も持ち、多くの人がハンドボールにお金を落とす仕組みを確立できたらと思います。
機会があれば試合を観たいと思いますが、東京での試合が少ないのも残念ですね。
今の若い人は、女性ががんばっています。共学校で女子の生徒会長も当たり前です。
実力社会になっているように思えますが、社会に出ると、まだ実力社会ではないのが現実。その現実を目の当たりにしても、へこたれない精神力をハンドボールで養ってほしいです。がんばったことは無駄になりません。
私も、ハンドボールから離れて何十年も経ってから福井俊彦さん(東大ハンドボール部OB、日銀総裁などを歴任)らとめぐり合い、ハンドボールならではのアットホームさですぐに親しくさせていただき、ハンドボールを通じての絆は財産になっています。
その時、何もならないと思っても、何十年後にご縁で助けていただけることもあります。人生の縮図を学べるのがハンドボールだと思います。
―ぜひ試合会場にも足をお運びください。
ハンドボールは、私にとってすごく大事な存在です。今回、こうしたご縁をいただいたこともあり、高校時代のチームメイトと、3月、東京・駒沢でのプレーオフ決勝を見て、同窓会をやろうと盛り上がっています。坂理先生もお呼びしたいですね。
日本女子代表も世界選手権(昨年12月)で、かなりいい成績だったんですよね(強豪・モンテネグロを倒し、リオデジャネイロ・オリンピック金メダルのロシアと1点差の勝負を演じるなど大健闘で世界から高い評価を得た)。
こういうニュースを聞くと『みんなで応援しよう』との思いが強くなりますし、チームをずっと追いかけないと本当の魅力や楽しさが分からないですからね。
来年、熊本の世界女子選手権にも行ってみたいと思っています。
―本日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。